催促すること、されること

 なんの因果か、自分が記事を書くだけでなく、人に書いてもらう記事を集める側にもまわるようになってしまった。

 「催促メールが届く」というのは、やっぱりうれしいことではない。スケジュール通りに原稿を書くという、言ってみればそれだけのことなのだけれど、そうできないときもある。いよいよ催促メールが来ちゃうかもしれない、と心底ひやひやしながらも、設定された締め切りが金曜日中だったりすると、「翌日から週末だから、きっと本当は翌週月曜の朝までに届いていれば問題なかろう」と先回りして考えてしまい、のんびりしてしまう。「月曜の朝には間に合わないが、昼までに間に合えば良いだろう」と、勝手に予測までするから問題だ。これが著名な文豪なら許されても、世の中ほとんどの執筆者は、そうも言っていられないというところだと思う。

 締め切りが近づく。ああ怖い、ほとんど進んでいない・・・。締め切りまでの時間のほどんどをそうやって過ごして、ギリギリになって猛スピードで駆け込む。その癖は治りそうにない。思い返してみれば、夏休みの宿題だって、8月末に取り掛かるタイプだった気もするし、大学の課題も、何度も「あわや」ということがあった。

 そんな風に、催促メールが嫌なものというのをわかったうえで、催促メールを送る側にもなってしまった。原稿をいただきたいけれど、この人にあの怖いメールを送らなくちゃいけないのか。心が重い。せめてもと、偉そうな文章は避けて丁寧になろうとするも、あまりに丁寧になるとこんどは慇懃に見える気がする。どのみち嫌なメールなのだから、ある程度は仕方ないとはいえ、気持ちよくやり取りをしたい・・・!何度も下書きのメールを読み直した後、えいやっと、送信ボタンを押した。

 

  今読んでいる『〆切本』は、締め切りを巡る、あらゆる作家の心の声が詰まっている。夏目漱石も、幸田文も、井上ひさしも、みんな「締め切り」と向かい合ったんだ。