日本の師走

 暦を睦月、如月、弥生・・・と数えない現代の日本社会でも、師走という言葉はよく聞く気がする。あとは、神無月も、出雲に全国の神様が集まっちゃうから神無月、という謂れとともに聞くことはあっても、やっぱり「師走」ほどは聞かない。

 街中では、クリスマスのオーナメントやプレゼントと一緒に、お正月飾りも売られ始めた。サンタさんの飾りの横に鏡餅やしめ縄が売られているのはなんとも面白い風景だ。クリスマスとお正月の間が一週間もないから、一緒に売るしかないのだろう。クリスマスが大切な一日の国の多くにとっては、お正月はそこまで飾り付けるほど重要じゃないし、新年の方が大事な国の多くにとっては、クリスマスは他国の文化といったところだ。でも、日本の場合は熱心なクリスチャンがクリスマスを祝う、というだけでなく、信心のない人までもクリスマスをイベント事として楽しむようになった。正月を祝うというのも、ほとんどの人にとっては信心と何の関係もない。神社やお寺に初詣にも行くが、それを「信心」と呼ぶかというと・・・そうでもないという人が多そうだ。

 クリスマスの過ごし方も、正月の過ごし方も、年々変わっているように感じる。「文化」というものがいかに固定的な概念ではないかということがよくわかる。「文化」は生き物のごとく、変化するのだ。

 そういえば、イギリスに住んでいるときは、クリスマスは現地に住む教会の宣教師さんのお家にお邪魔させていただき、ご飯をご馳走になった。残念ながら私は熱心な宣教にも関わらず入信には至らなかったが、現地のクリスマスの団欒というのを体験したのは良い経験だった。手の込んだご馳走と、音楽と、飾り付け。いかにも華やかだった。

 一方で、新年については、年が明けた深夜0時ぴったりに打ち上げ花火が何発か上がった程度で、それ以上の何かは特になかった。パブまで行けば何かしらあったかもしれないけれど、やっぱりクリスマスほどの宣伝もなかったように思う。もちろん、福袋とかデパートのセールも無し。そういうセールは、イギリスではクリスマスの後だった。12月26日は「ボクシング・デー」といって、古くは家の使用人にプレゼントを渡し、使用人が家族ですごせるよう、休暇を与えた日だそうだ。今では、デパートのセールの日といったところか。

 

 当たり前のようにクリスマスの飾りとしめ縄が並んでいるお店。「消費」という観点から、日本の文化を考えさせてくれる。