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どんな街に住んでいる?

エッセイ 落語 コミュニケーション 思い出

 短期記憶を保つ力が弱くなった祖父は、会うたびに「今はどんな街に住んでいるの?」とわたしに聞いた。「イギリスにいたときは、どんな街に住んでいたの?」なども聞いていたから、わたしがイギリスにいたことは、深く印象に残っていたのだと思う。会うたびといっても、会ったとき毎回というどころか、20分前に同じ話題で話したことも忘れて、また同じように「今はどんな街に住んでいるの?」と聞くのだから、結構な頻度だった。

 どちらにせよ、多くの場合、わたしは自分が今住んでいる街や、かつて住んだ街について言葉で描写するという機会があって、毎回同じ話をするよりはと思い、毎回、同じ街について語る場合でも違うような側面を取り上げ、話した。どんな人が住んでいるか、何ができるか、どんな便利なことがあるか、どんなお祭りがあるか。近くにどんな川が流れているか、どんなところを散歩すると気持ち良いか。どんな食べ物屋さんがあって、娯楽は何か。意識をしてみると、一つの街を語るにも、たくさんの視点をもてるものだ。

 

 「一つの物事について、さまざまな面から語れるようになる」というのは、わたしが勉強していることの一つでもある。ある日、ウェブで色々な人のブログを見て回っているとき、落語家の桂花團治師匠のブログに出会った。そこで、『笑点』などでもよく見られるような大喜利の「謎かけ」をどう考えるか、というのが紹介されていて、それがすごく面白かった。

 謎かけというのは、要は「~とかけて、~と解く、その心は~」という芸。例えば、「リンゴ」とかけるならば、ということで、リンゴを大喜利に出すならばどういう見方ができるか、というのを書き出してくれている。

 テレビで大喜利をみると、「なんでこんなにすぐに上手い謎かけができるのだろう」と思っていたけれど、落語家さんたちは、瞬時に「リンゴ」なら「リンゴ」をあらゆる視点に分解して、それと何かの共通点を探り、謎かけの答えを編み出しているということのようだ。

 こういう風に整理して、「リンゴ」を様々に言い換えられるようになれるのなら、今わたしが住んでいる街を言葉で伝えるにしても、きっと、もっとたくさんの描写ができるのだと思う。

 なんどもなんども、同じ問いを繰り返した祖父は、わたしに、考える刺激を与えてくれた。はたから見れば祖父と孫の何気ない会話だけれど、わたしにとっては、祖父との思い出の一つでもあり、わたしの思考を鍛えてくれた大切な問いでもあった。