リピート派

 好きな本とかアニメとか映画とかは、繰り返し何度も見たい派だ。例えば、名探偵コナンの映画『世紀末の魔術師』は何回観たかわからない。親に聞いてみると、小さいころからそうだったらしく、同じ絵本を何度も何度も読んでいたらしい。新しいものを次々と、というタイプではないようだ。音楽も、一度気に入った音楽は何度もリピート再生する。

 ゲームも同じで、一つのゲームを何度も何度も遊ぶ。ゼルダの伝説時のオカリナムジュラの仮面は何周したかわからない。どちらも、最大の体力(ハート)を増やすことなくクリアする「縛り」プレイもやった。牧場物語でいえば、どの女の子とも結婚するくらいには何周もした。映画だったら、セリフを覚えているシーンはいくつもある。そうやって何周も何周も観て味わうのが好きだ。観るたびに、何か新しいディテールを発見する。伏線に気づく。そういうのが楽しい。

 周りを見ると、わたしのようなリピート派よりは、新しい物語をいつも求めたい派の人の方が多い気がする。だから、というわけではないが、なんとなく恥ずかしくて、わたしがリピート派であることは、人には内緒にしておきたい。自分のことながら、格好悪く感じてしまうのだ。あるコンテンツについて、「そんなにリピートするほど好き」という、自分の「好き」を見せるのが、正体がバレる気がして恥ずかしいということなのかもしれない。それこそ、コナンの映画を何度も観たというのは、「子供っぽい」と思われるかもしれない、とか、そういうことを考えてしまうのだ。「いい大人が」とか、「もっと色々あるだろうに」とか、自分を格好良い大人と見せたいというような見栄が出てくると、どんどんリピート派であることをさらけ出せなくなる。

 でも、わたし以外にリピート派の人がいるということも、よく知っている。たとえば、わたしの父はどちらかというと、リピート派だ。共通の好きな映画『紅の豚』については、どのシーンのどのセリフが良い、みたいな話もできる。細かいディテールを「こういうところ、気付いた?」などと話すのも、楽しいものだ。

 よく考えたら、わたしの周りの、新しい物語を好む人たちの中にも、わたしと同じ「隠れリピート派」の人がいるのだろうか。そして同じように、なんとなく恥ずかしい気がして、リピート派のことは言わないだけなのだろうか。そうなのだとしたらーー、少し、心強いかもしれない。