使い切る気持ちよさ

 実家に帰ると、最初の10ページほどしか使っていないノートがたくさん出てくる。ノートを使い始めるときは気合を入れて、字も丁寧、レイアウトもしっかり考えて書くのだけれど、だんだん嫌になり、途中で何かしらケチがつく。そうすると、完璧主義な気があるわたしは、そうやってケチがついたノートを使い続けられなかった。

 先日実家に帰った際、そういう半端なノートをいくつか持って帰ってきた。そいつらを、使い切って、気持ちよくお別れするためだ。家の中に、自分の過去にため込みすぎた紙類を、少しずつ整理しようと思っている。

 これまで、ケチがついたノートを放置してきたことについては、前科何犯と数えることも出来なさそうだが、一方で、ノートを使い切った時の気持ちよさもまた、知っている。ノートの表紙に「その2」と書くのが、気持ち良い。ああ、使い切って、しかも2冊目に入った。今回は継続しているぞ。その感覚が、モチベーションになるのだ。

 何かを使い切って、新しいものをおろす。その気持ちよさは、ノートに限らずいろいろなところで味わう。固形石鹸もそうだし、味噌を1パック消費し終わって、いつもと違う味噌を買って開けてみるのもワクワクする。新しい醤油の封を開けるのも気持ちが良いし、箱ティッシュを新しく開けるのも好きだ。そう、ノート以外に関しては「使い切って、新しいのを使い始める気持ちよさ」の成功体験をかなり積んでいるはずなのだ。だから、ノートだって、今なら、使い切れるはず!

 表紙がステキなノート、紙質が気に入ったノートを見つけると、つい買いたくなってしまうけれど、しばらくはノートの買い物は禁止としよう。次に新しいノートを買うまでに、どれくらいの期間、いまある分がもつだろう。かなり長く使えそうだ。紙は資源。これまでのギルティを清算するためにも、しっかり、ハンパなノートを最後まで使ってやろうと思う。