百の物語

 いよいよ、この記事でブログは100投稿になる。毎日投稿すると決めてから、もちろん何人の方が読んでくださっているかというのは気にしていたけれど、それよりも、「100投稿を目指す」というのが大きな目標だった。だから、今日という日を迎えられて、ほんとに嬉しい。

 「100」というのは、ただキリが良いからというだけの数字ではない。わたしには、うんと大切な数字だ。それは、尊敬する先生である、大村はまの影響が大きい。わたしは、大村はま先生の(自称)孫弟子で、「ことばを使う」ということについて、かなりたくさんの気をつけたいポイントというのを学んだ。例えば、ありきたりのつまらないコメントを避けるためにも、一番最初に思い浮かんだことばはできるだけ使わない、とか。ほかにも、わたしの母が中学生のころ大村はま先生の生徒だったから、母を通してさまざまなエピソードに触れ、できるだけ自分の血や肉にしたいと思っている。

 そんな中でも、中学生に国語を教える人として、いつでも百の話題を用意して、話せるようにしていた、というエピソードが心に残っていた。子供を教える立場として、一人ひとりをよく知ることが重要だけれども、ただアンケートや問いかけの形式で「あなたは何が得意なの?」「何が好きなの?」と聞いたって、ほんとうに子供を知ったことにはならない。そうやって直接的に何かを知ろうとするのではなく、つい耳を傾けたいと思うような話をして、その中でふっと子供から自発的に発せられることばを通して、彼ら・彼女らのことを知ろうとしたという、教師としての姿勢が背景にある。

 ほかにも、国語の先生として子供に教えたい、「話を聞くチカラ」を伸ばすためでもあるそうだ。書くチカラ、話すチカラは、できるようになっているか比較的測りやすいだろう。でも、「聞く」という、簡単には測れないチカラも大切だ。そして、測るのも難しいが、育てるのだって、難しい。大村はまは、聞くチカラを育てるには、結局は話す側が、つい聴きたくなるようなお話をいろいろ話せなければならない、と考えた。ひとつの、うんと面白い話ができたとしても、それを皆が面白いと思うとは限らない。それに、毎回同じ話をしたって聞くチカラは伸ばせないだろう。

 そして、やはり国語の先生としては、生徒に、さまざまなことばの使い方、新しい語彙に出会わせたい。国語の先生としての大村はまの大きな魅力は、教室で話してくれるお話だったという。いつだってたくさんの話を用意していて、いつでもそのレパートリーに新鮮な話を加える心づもりがあって、そうやって生き生きとした話し言葉を生徒にナマで伝えていたのだと思う。

 元生徒が大村はまの一生を書いた、『評伝 大村はま』には、こうある。

はまは「胸に百の物語を持つようにしていた」という。いつも、思わず本気で人に語りたくなる、語らずにはいられないような魅力的な小さな話を百は持つ。百あれば、いろいろな場面のいろいろな相手にふさわしい話が、たいていできる。固定的な百ではない、自分の興味が減じてきたら、もうそれは百から外れる。自分の心が動かない話をする気は、なかった。ぴちぴちと生きのいい話を百。それははまにとって大事な習慣だった。

苅谷夏子『評伝 大村はま』小学館

 これを読んで、さあ、わたしは百も小さな話を持っているだろうか?と焦る気持ちになった。べつに、わたしは国語教師ではないどころか、子供を教える立場にもない。でも、魅力的な話者であり、書く人でありたいと思う。新鮮な百の話題を持っているか知りたい。それが、このブログを始めたきっかけのひとつなのだ。

 ここまでに書いた記事、全部が全部、「語らずにはいられないような魅力的な話」になった自信は、ない。でも、書き続けるということは、達成した。書くことの訓練は、書くことによってしかできない。だから、ここまでできてよかった。 ここからも、「ぴちぴちと生きのいい話」を増やしていきたい。100投稿まできて、達成感もあるけれど、同時に、「やっとスタート地点にきた」という気持ちも芽生えた。わたしのことば、明日から、どんな風に磨いていこう。