赤い白亜と緑の黒板

 母との仕事の打ち合わせの帰り道、学習塾の横を通ると、奥の黒板に懸命に字を書く先生と、机に向かう生徒の背中が窓越しに見えた。この冬受験をする生徒の最後の追い上げだろうか。それとも、来年試験を受ける者達だろうか。

 久々に黒板というものを見て、ふと、黒板が緑色なことに気づいた。あれ、ちっとも黒くない。自分が生徒だった頃の記憶をたどると、たしかに、記憶の中でも黒板は黒くなかった。洒落たカフェでコーヒーの銘柄なんかが書かれている、ほんとに黒い黒板を見ることもある。むしろ大人になってからはそういう雑貨としてのものしか見ることがなかったから、学校や塾の教室の黒板が緑色だったことを、忘れていた。

 調べてみると、黒いと光の反射によって文字が読みにくくなるからだとか、黒い地に白い字だとコントラストが強すぎて目に悪いとか、緑の方が目に優しいとか、さまざまな説があった。そしてある年に、JIS規格として色の指定がされたようだ。そうやって、いろんな理由から緑色になったそれを「黒板」と呼び続けたのは、面白い。より目に優しいことを文句に、新しいネーミングで売り出すということになる前に、「黒板」という語が、一般に定着してしまったということだろうか。

 そして、黒板に書くための道具といえば、チョークだ。いまは黒板に書くために工業生産されているだろうが、元の英単語「チョーク」を和訳すれば、白亜。イギリスの、ドーバー海峡の近くの崖に露出する、白亜紀の、白い地層のことだ。海の藻の化石らしい。写真で見れば、文字通り真っ白な崖である。

f:id:fukurowl:20170120215401j:plain

イギリスの白亜の崖(ウィキペディアより)

 でも、ひとりの生徒だったころの記憶を辿れば、目で追っていたのは、重要な項目のときにだけ先生が使う、赤い(ピンク色の)チョークの文字ばかりだった気がする。白いから白亜(チョーク)のはずなのに、重要事項ほど白が使われないというのは、少し矛盾しているようにも感じられる。

 生徒だった頃は、日直になると休み時間のたびに綺麗に黒板を拭くというのが好きだった。黒板拭きがすぐに粉だらけになるので、しょっちゅうはたきに行っては拭きの繰り返し。丹念に綺麗にしたあと、先生が教室に入ってきたときに「お、黒板が綺麗になってるな」と気づいてもらえると、誇らしかった。

 先生によって色付きのチョークをつかう割合が違い、何々先生の授業のあとは黒板消しが赤っぽくなる、とか、別の何々先生の授業のあとは黄色っぽいとか、そういうことを妙に気にする生徒だった。

 黒くない黒板に、白くないチョークで文字が書かれる、学校の教室。それはわたしたちの、当たり前の光景。たぶん、同じように、言葉と実態がズレていることってたくさんあるんだろう。白と黒の組み合わせもいいけれど、赤と緑の組み合わせも良いじゃないか。おや、こんな文章書いていたら、ぷうんと鼻の奥に赤いきつね緑のたぬきの、濃い出汁のにおいを感じた。