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けものの気配

エッセイ 猛禽

 スノボ旅行から帰ってきた。スノボリベンジから一夜明けると、転んだ時についてしまった手首が痛むことに気づいて、帰宅してから湿布とテーピング。パソコンのキーボードをたたく分にはほとんど痛まないし、ある特定の角度にしないかぎりは、大丈夫。ただ、床に座った姿勢から、手をついて立ち上がろうとすると、ずきりと痛む。とりあえず一晩、湿布とテーピングはそのまましておこうと思う。

 鬼怒川温泉からスキー場へむかうバスの車窓の景色は、山を登っていくにつれて白くなっていった。最初は日当たりが少ないところだけに雪が残っていたのが、次第にほとんどの地面が雪に覆われるようになっていって、最後は、山肌全体が、きめの細かいホイップクリームをたっぷりと塗ったようになっていた。そんな山の姿を近くでみることなんてこれまでほとんどなかったので、スノボへの期待感とともに、ワクワクしながら眺めていた。

 歳時記によると、ふくろうの季語は冬なのだそう。たしかに、雪をかぶった山に、ふくろうはよく似合う気がした。木々の間の雪原には、けものの足跡がある。いくつかの種類があるようで、その一つは、うさぎのようだった。うさぎは、前足をそろえて出して、後ろ足がぽーんとその前に出る。ちょうど、連続で馬跳びとか跳び箱を跳んでいるような恰好ということだ。その連続馬跳び的な足跡が縦横無尽に広がっていて、ときどき、雪原を出て、雪かきがされている車道にも出てきているようだということがわかった。実際にうさぎの姿を見られたわけではないけれど、自由に駆け回る足跡を見るだけで、そのようすを想像できて楽しい。そして、木の上でじいっと待っているフクロウは、それを見つけると格好のごちそうとばかりに狩りを試みるのだろうか。想像の上でしかないけれど、そんな舞台に見えた。夏の、地面の草がわんさか生えた森よりも、雪に覆われた森のほうが、やっぱりフクロウには似合う気がする。

 車窓から、うさぎの姿は見られなかったけれど、岩陰に鹿がいるのは見つけた。こちらに背を向けていて、お尻のあたりの毛は白く、ぼさぼさしていた。角がなかったから、メスだろうか。これは夫が気づいたことだけれど、山の木々のなかには、ある高さのところだけ皮が剥かれているものがいくつもあった。きっと、鹿などのけものが木の皮を食べるのだろう。うさぎとフクロウの生き残りをかけた戦いの想像を超えて、ほんとに鹿に出会って、さらに山から「生」を感じることができた。

 今日は東京へと戻るばかりだった。行きと同じように帰りも東武線に揺られて東京へ。昨日の疲れもあり、ぼーっと車窓の景色を眺めていると、田んぼの端の方で、一羽のキジが走っているのが見えた。あのフォルム、あの尾羽、あれは間違いなく、キジだ。鷹狩りのシーズンももう終わる。あの地域に鷹狩りをする人がいたかわからないけれど、あのキジは、すくなくともこのシーズン生き延びた。

 生き物を感じるための旅行ではなかったけれど、帰ってきてみたら、冷たい風を切って雪山を滑り落ちるスリルで自分の命を感じたり、野生のうさぎやフクロウの気配や、鹿とキジの姿を発見したりと、ずいぶん野生を感じた二日間だった。