イギリスの洗濯機

 昨日のコインランドリーでの出来事を改めて思い出して、自分がちょくちょく乾燥機のドアを開けては、回らずにただ熱風を浴びる洗濯物をひっくり返したさまが餅つきの時の合いの手と重なって、自分でおかしくなってしまった。幸い、誰にもその姿は見られていないはず。ちょっと見られるには滑稽すぎる。

 それと連想的に思い出されるのが、イギリスの父の家の洗濯機だ。あれは回らないということはないが、かなりの旧型で、一度の洗濯に二時間はかかる。そして、うっかりニット系の衣類を入れてしまうと、大人のMサイズだったはずの服が縮みに縮み、子供服のようなサイズになってしまう。そして、びっくりするほど生地が分厚くなる。いわゆる「フェルト化」という現象だ。これに何度痛い目に合わされたか、と思う。

 イギリス(の、少なくともわたしがいた地域)では「洗濯物をベランダに干す」という習慣は基本的になく、乾燥機を使うのが主流なようだ。庭に物干しを置いて、庭で干すということもあるようだが、少なくとも、道路から家々を見上げると風にたなびく洗濯物が見える、という日本でよく見られる光景は、イギリスでは一度も目にしなかった。やっぱり洗濯物はプライバシーなのだろう。

 洗濯している二時間のほとんどの間、洗濯機はゴオーー、ゴオーーと唸るような音をたて、結構うるさい。父とわたしは徒歩圏内に住んでいたので、わたしは週に一回、父の家に洗濯機を借りにいっていた。一応寮にもコインランドリーはあったが、毎回お金はかかるし、ちょっとぼさっとすると次の人が中に入っている洗濯物を勝手に出してそこらに置いてしまうらしいと聞いたので、父に甘えることにしていた。だから、父の家での洗濯が、毎週末の朝の習慣になっていた。そうして洗濯機をスタートさせたら、二時間は洗濯が終わらないのだから、それが格好の父との散歩の時間となった。以前も書いたけれど、この洗濯の時間は、親子の大切な時間になっていたと思う。散歩をし、ランチを食べて家に帰ると、ちょうど洗濯が終わっているので、そこからさらに乾燥機にかける。そうやって、週末の半日が終わる。

 一つの、良い週末の過ごし方だった、と思う。