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空き瓶礼賛

 清掃や片付けといったことに関心を持つようになって、昔よりもモノを溜め込みすぎないようになったと思う。着ない服はチャリティーに出したりもしたし、読まない本のうち手放して良いと思ったものは、古本屋などに持ち込んだりもする。捨てるべきものは捨て、譲るべきものは譲って、一時期よりはモノが減ったと思う。

 とはいえ、未だに捨てるのが苦手なものがある。それが、空き瓶だ。大学生の頃に一人暮らしを始めてから、結婚して今の生活に至るまで、それなりに自分で工夫して自炊するようにしている。そんな中、周期的にハマったり飽きたりしている食べ物がある。瓶に入っているほぐした鮭だ。あったかいご飯に乗っけても良いし、お茶漬けにも良い。とにかくご飯が進むので、妙に食べたい時がある。瓶に入った鮭のほぐし身を食べ終わると、瓶と蓋をよく洗って、乾かす。そして、それを空き瓶として捨てれば良いのに、捨てられないのだ。段ボールや発泡スチロール、ペットボトルなんかは資源ごみとしてちゃんと出せる。同じように瓶だって資源ごみとして出せば良いのに、つい溜めてしまう。わたしの「弱点」だ。

 その背景は、子供の頃から親しんだゲームにある気がする。それが、いよいよ本日nintendo switchとともに新作が発売された「ゼルダの伝説」シリーズ。わたしはまだ買っていないけれど、新作もどこかのタイミングで買おうと思う。ゼルダの伝説シリーズは、時のオカリナから猛烈にハマった。何周したかわからないくらい遊んだ。そして、このゲームの中で、「空き瓶」というのは、とても重要な役割を果たす。体力や魔法力を回復するアイテムをいれられるだけでなく、それがボスの繰り出す攻撃を打ち返すこともできるし、あるいは重要な登場人物を詰めて持ち運ぶこともある。とにかく、大切なのだ。わたしは実践しないけれど、バグ技にも、空き瓶を使うものが色々あるらしい。とにかく、空き瓶様様だ。

 わたしがつい鮭を食べ終わって残った空き瓶を残してしまうのは、ただ他のプラスチック類の容器なんかと比べて丈夫そうな気がしたり、まだ使い道がありそうに感じてしまったりするだけでなく、このゲームの影響が少なからずある気がする。さすがに、妖精をいれて持ち歩ける日が来ることなんかは期待していないけれど。