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空間センスが足りなくて

 仕事ついでで、実家に帰ってきた。二週間前にも帰ってきたばかりだからあまり久々という感じでもなかったけれど、帰ってくるとつい昔の思い出の本とか写真とかを開いてしまう。その中で久々に開いたのは、昔、9歳のころにアメリカに住んだときに使った、英単語の絵本。男の子の絵があって「boy」って書いてあったりする、とても簡単なもの。ただ絵と単語が並んでいるのではなく、クロスワードになっていたり、穴埋め問題になっていたりと、遊びながら学べるようになっている。といっても、当時のわたしは特に熱心に勉強したわけではなかったし、わからなかったページが多かったから白紙のページばかり。でも、ある一ページ、しっかり書き込まれている箇所がある。お題として書かれているのは、次の英文

“Complete the pictures by drawing in the missing half of each fruit. Try to make both halves look the same.”(欠けている半分の絵を描き加えて、それぞれのくだものの絵を完成させましょう。左右が同じにみえるように描いてみよう)

そこに描かれたわたしの絵が、こちら

f:id:fukurowl:20161027231245j:plain 西洋梨の絵。ああ、なんとセンスのない絵なのだろう。

 よく見るとわかるのは、梨の表面の点々は、中心を軸に線対称に描けているということ。ただ、徹底的に、アウトラインがわかっていない。さすがにそれから20年近く経った今ではもっとよく描けると思うけれど、いまでも絵には自信がない。それは、この西洋梨の絵からもわかるとおり、空間把握のセンスに欠けているからだと思う。

 

 ちなみに、ジャグリングも、わたしはかなりの劣等生だった。むかし、サーカスを習っていたのだけれど(そのときの話はまた後日書こうと思う)、クラスの中で、わたしだけがジャグリングを一度も成功しなかった。それも、空間把握。ラケットでテニスを打ち返すのが下手なのも、関係しているかもしれない。

 

 それに比べて、いつもスゴイなあと思うのは、葛飾北斎。比べるのもおこがましいけれど。カメラなどの、「ある瞬間を画像として切り取る」というツールがなかった時代に、その目だけで波がうねり水しぶきを上げるさまを読み取り、それを描いた。わたしだったら、ただ白っぽい水色っぽい点々を無数にランダムに散らすしかできなかっただろう。お手本がなければ、それすら思い浮かばないかもしれない。

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(上下で並べてみると、わたしのセンスのなさが際立つ)

 「観察眼」という言葉があるけれど、何かを観察したときにそれを映像的にとらえるのか、言語化してとらえるのかでアウトプットは変化する。わたしは観察眼はもっているつもりだけれど、それは言語のほうで、映像としてとらえる力は弱い。目のつけどころを学べば、少しは映像としての観察眼も冴えるのだろうか。映像としてなにかを受け取り、それを映像としてアウトプットする。それができるようになったらなあとあこがれるけれども、それはないものねだりというものなのかもしれない。むかしのわたしの西洋梨の絵を見ると、望みは薄そうだな、と思わずにはいられないのだ。