読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「純」という漢字の怖さ

 大学に入ってから出会った言葉に「純ジャパ」というものがある。先日「けものフレンズ」について触れたから「ジャパ」とくれば「ジャパリパーク」のほうが思い浮かぶ気もするが、もちろんそうではない。両親とも日本人で、ずっと日本で育った人のこと。純粋なジャパニーズのこと、である。この言葉は(在日)外国人との対比で使われるというよりは、帰国子女との対比で使われる。文脈としては、「帰国子女の学生なら英語が流暢なのはもちろんだけれども、あの子は純ジャパなのに発音良いよね」、とかそんな感じに使われていた。Wikipediaで調べると(というか、Wikipediaで項目になっていることに驚いた)、元々ICU上智といった大学で使われるようになった言葉だそうだ。なるほど、帰国子女が多いところである。

 それにしても、ICU上智といった、人の多様性に富んだ場所だからこそ「純ジャパ」という言葉が使われるようになったというのは皮肉なものだ。「差別的な意図は含まれないことが多い」というが、「純」という漢字からは、やっぱり人を区別する印象を受ける。すぐに思い浮かぶのは、『ハリーポッター』でスリザリンの寮に入る子達が「純血」の魔法使いだ、というような文脈。とはいえ、「帰国子女じゃない」人をさすときにちょうど良い言葉がないのだから、とりあえずは「日本でしか過ごしてない」「生粋の」という感じで「純ジャパ」なのだろうか。

 帰国子女の方が良いとか、純ジャパの方が良いとか、そういう議論をする気は無い。でも、ある特定の経験をしたことがあるかによって「純」か「純じゃない」かが決まってしまうのか、と驚かされるほどには「純」という言葉の持つ意味は大きい。そして、それくらいインパクトの強い言葉を選ばざるを得ないほど、ICU上智も、「帰国子女かどうか」の違いがハッキリ出る場所だったということだろう。非「純ジャパ」(つまりは帰国子女)も、その経験の幅は広い。だから一口に学生を「純ジャパか帰国子女か」の二分はできない。日本語よりも英語の方が得意な学生もいれば、基本的には日本語が母語で、英語もポケモンレベルにはできる、という、わたしのような学生もいた。特に語学力なんて、できる/できない、というだけでは判断できない。海外に住んだ経験、という切り口だとしても、記憶もない幼少期のことなのか、小学校から高校卒業までなのかで全然違う。人それぞれの経験や能力なんて、グラデーション的な分布であって当然なのに、「純」という漢字一文字が、YesかNoの二択というような見せ方をさせる。

 世界中のあちこちで、移民政策をどうしようという議論が出ている。そして、どちらかというと、多様性を大切にしたいというよりは、自国民を優先したいとか、よその干渉は受けたくないとか、そういう方向に向く力が強いように見える。そんな中で「純ジャパ」という言葉は、やっぱりその言葉本来の意図された意味以上のイメージが想起されてしまう気がしてしまうのだ。「帰国子女ではない」ということだけを意味したいなら、それ専用の、もっとしっくりくる言葉が使われるようになっても良いのではないだろうか。そう思ってしまうくらいには、「純」という言葉は強い。