水の効能

 下町の風呂は熱い。江戸っ子は熱い風呂が好きというのは聞いたことがあったけれど、果たしてそれは本当だった。千葉で生まれ育った私にとっては、風呂の適温は41度くらい。夏はそれよりぬるめのお風呂にゆっくり浸かる。でも、41度より熱いと、とてもじゃないけど入っていられない。そういう感じだった。

 数年前に引っ越してきて、最初にお風呂屋さんに行った時には、その風呂の熱さに驚かされた。温度計は、42度を少し上回っている。体を真っ赤にして少し入り、たまらず出てしまった。入り慣れた風呂との温度差は1度程度なのに、ものすごく熱い。ぬるいお湯もあったが、おばちゃんたちはそちらには入らず、熱いほうばかりに入っていた。そして、「今日のお風呂は少しぬるいんじゃないかねえ」なんて言いながら、長風呂をしていた。また、風呂屋によっては常連ばかりのコミュニティが出来上がっていて、洗い場の席も「ここは誰々さんの席、あっちは誰々さんの席」と決まっており、勝手に座ると怒られる、と聞いていたので、初めて利用する客としては、なんとも落ち着かなかった。結局怒られることはなかったが、「一見さんお断り」のお店も多い町に住んでいると、風呂屋も気軽にいろいろなところには行けないと感じる。風呂も洗い場も肩身がせまい気がしたが、せめてもと思い、脱衣所で瓶に入ったコーヒーミルクだけは楽しんだ。

 いわゆる風呂屋ではなく、スポーツジムの風呂ですら、熱い。こちらも、42度超え。運動をしたあとのお風呂という人もいれば、とりあえずお風呂だけという人もいる。思い思いに熱い風呂を楽しんでいる。

 私もスポーツジムの会員になって、ジムやプールで運動をし、そして風呂に入るようになった。運動で気持ち良く汗を流しても、風呂が熱すぎるから、最後がさっぱりしきらないと思っていたが、とにかくシャワーで汗を流し、ほんの少し風呂を楽しむ。次第に風呂の温度に慣れると、今度はサウナ。ドライサウナは室内が約90度。三分ももたずに熱くなって外に出てしまうことが多かったが、こちらも、今となっては長く入り、そのあと汗を流して水風呂にざぶんと入るのが気持ち良くなった。水風呂は20度を下回る。最初はつま先を恐る恐る浸けて、そのあと足だけが浸るのが精一杯だったが、次第にしゃがめるようになり、ついには肩まで入れるようになる。風呂やサウナで十分に体を温めておけば、冷たすぎると思うことは減っていった。

 入り慣れた風呂の41度と、下町の風呂の42度超え、たった1度の差で肌は敏感に違いを感じ、反応する。でも42度の風呂に通い続ければ、42度の風呂にも無理なく入れるようになり、41度と42度の差は前ほど大きくなくなる。こう考えると、人間の順応能力はすごい。また、41〜2度が風呂の温度ならともかく、気温だとしたら猛暑日もいいところ。あつくて外になんか出ていられない。それが、風呂になるときもちいいというのは不思議だ。そうかと思えばサウナは、長くは入っていられないけれど90度もある。これがお湯の温度だったら、風呂なんてとんでもない。体を浸けたら火傷する。お茶が淹れられる温度だ。

 サウナのあと、もしくは熱い風呂のあとの水風呂は、最初こそ冷たすぎて入れる気がしなかったが、一度ハマるともう戻れない。その、ハマった人たちが、数分おきに、サウナと水風呂を行き来する。サウナの熱い中、顔見知り同士でさんざんおしゃべりをして、ちょっと失礼、なんて言ってサウナを出て、簡単に体の汗を流して水風呂へ。肩まで水に浸かると、「はあ〜、きもちいい」と思わず声が出る人続出。この「きもちいい」の声は、嘘も偽りもない、心からの「きもちいい」で、聞いているこっちが心地良い。ときには「きもちいいねえ」なんて同意を求められたりして、こちらも「そうですねえ」なんて返してみると、さらにきもちよくなる。風呂場全体に響く「きもちいいねえ」「そうですねえ」の応酬は、空間全体を癒しているのだ。

 熱い風呂、熱いサウナに水風呂。どれが緊張でどれが弛緩かわからないほど、極端に熱いか極端に冷たい。でも、緊張から緩和へのギャップが大きければ大きいほど、きもち良さも大きくなるのだとしたら、風呂も水風呂も欠かせない。サウナから水風呂であれば、自分の周りの温度は、90度超から、20度まで一気に下がる。両極端のそれらを取り揃えた下町の風呂は、究極に人をきもち良く癒す空間なのかもしれない。