文化人類学こわい

 大学に入ってから、ほとんどゼロベースで文化人類学を学び、これまでにはいくつかのフィールドワークも実施してきた。今日、ひさびさに文化人類学という学問について考える機会があったので、改めて考えたことを、すこし文字にしてみようと思う。

 といっても、考えたことというのは、ほぼほぼ表題のとおりで、文化人類学こわい・でも意義もある、というもの。それを、すこしずつ分解しながら書こう。

 まずは前提の、「文化人類学」の部分。この学問は、基本的には、調査者が、ある社会のポンと入って行って、それなりの期間、現地の人と一緒に暮らしたり、いろいろな聞き取りをしたりしながら(フィールドワーク)、その社会の中で見られる文化について知り、それを学問的に分析し、民族誌(エスノグラフィー)を書くというもの。もちろん、フィールドワークの前段階には、文献調査とか、リサーチクエスチョンの設定とか、いろいろな準備をしていく。昔はヨーロッパの大学の、白人の学者さんが、南の島の部族のコミュニティに入って行ってそこの暮らしを記述するなんていう形式が基本だったけれど、今はその研究対象も、研究する側の人種も、多様化していると言えるだろう。白人の学者(そもそも白人というだけで権威だった)であり、背景に大学という権威があり、そういう人が、「遅れた」文化をもつ部族達を観察するという構造は、両者の間で力関係の差が大きすぎると長年批判されていた。今では「文化相対主義」(文化のあり方は絶対的な優劣をつけられるものではなく、相対的に捉えるべきものだという考え)が主流になったし、力関係の差にも非常に気を使うようになっている。

 とはいえ、やっぱり<見る人>ー<見られる人>という立場の違いは、本当には越えられないし、どうしても、研究者は背景に<大学>などの権威ある機関を背負っている。

 これが、「文化人類学こわい」の「こわい」の部分。現地の人たちに限りなく寄り添い、耳を傾け、得られたものをエスノグラフィーに書いたら現地の人にも読んでもらうなどしても、やっぱり現地の人たちの秩序とか、社会のあり方のようなものを文化人類学者は「侵している」のではないか、と思ってしまうのだ。文化人類学者がその社会に入っていくこと自体、そこに影響を与えてしまっているし、たいていの場合、余計なことをたくさん聞いて回る。論文を書くため、というのは、本当に大義名分になるのか、という疑問はいつでも抱いてきた。

 と同時に、「でも意義もある」とも思う。前段落まで「権威をもつことは罪」のように書いているのに矛盾するように見えるかもしれないが、「権威をもっているからこそ」できることもあるからだ。あるいは、「権威」という言葉は適切でないのかもしれないけれど。大学などの機関に居られること、論文やエスノグラフィーを発表する場があるということ自体が、力だ。そして、気を使いつつ、調査対象の社会を侵しつつ、それでもエスノグラフィーを、論文を書くことで、誰かに読んでもらえる、気付いてもらえる機会を作れる。ジャーナリズム以上に、文献調査を含むデータを求められる学術的な書き物だからこそ、伝えられるメッセージはあると思う。メッセージは、人々が持つ固定観念への批判だったり、メディア批判や体制への批判もあり得るけれど、これらの批判を社会に伝えるには、どうしてもある程度の「力」が必要になってしまう。そのメッセージを、調査を通してつかまえて、伝わるような文章にして発表するというのは、やっぱり「文化人類学」という学問を修めて、研究機関や学会などを通して(あるいは本などのメディアを用いて)発表することができる、文化人類学徒・学者だからこそできることだ。この部分には、やっぱり意義があると思う。

 だからこそ、「書く」ことを大切にしたい。ただ書くだけでなく、「読まれることを意識して書く」ということ。それを大切にしないで、文化人類学徒は語れない。