敏感ドラマー

 わたしは結構音に敏感な方だと思う。高い音とか、大きい音、あとは時計の秒針など規則的な音も苦手だ。何かがきっかけで敏感になりすぎると、隣の部屋の壁にかかっている時計の秒針まで聞こえてしまう(と感じていた)ほどだ。映画館も、音が大きいから苦手。子供の頃は、クラスメイトの女の子に、甲高い声で喋る子がいて、その声が好きになれず、その子と遊ぶのに気が乗らないということもあった。遊園地に行って、メリーゴーラウンドに乗るときも、発車(?)前のブザーの音が大嫌いだったし、幼少期はトイレに入って温感便座に座ると、便座が温まるためにウイーンと電子音が鳴るのもこわかった。要は、あらゆる音がこわかった。

 

 そんなわたしが、小学校に入って、ブラスバンドに入り、あろうことか打楽器パートに志願した。ティンパニがかっこいいなあ、と思っていたし、ラッパ系はそれこそ音が大きいから怖い。小太鼓とかなら大丈夫かな、なんて軽い気持ちで入った気がする。わたしは積極的に、細かいリズムを刻む小太鼓などを志願した。不器用だから木琴や鉄琴は全然できる感じがしなかったので避けた。そして何より、シンバルにはできるだけ関わらないように。そう思っていた。

 でも、あるとき、市内の別の学校とも合同で、音楽祭か何かで演奏することになった。小太鼓部隊はすでに大勢いて、まさかの、シンバルに割り振られてしまった。

 どんな曲を演奏したのかはもう覚えていないけれど、曲の序盤はまあまあ静かだからシンバルの出番がなくてつまらない。小太鼓だったら、コンスタントにタッタカタッタカとリズムを刻めるから楽しいのに。後半には曲が盛り上がり、気合を入れてシンバルを鳴らさなければならない。練習でわたしがビビってシンバルの音を抑えてしまうと、先生にすぐ指摘され、「もっと目立っていいんだよ!」なんて言われた。遠慮しているつもりは全くない。こちとら怖いだけなのだ。どうにかこうにか演奏を乗りきり、それ以来、全くシンバルには触らなかった。

 

 敏感といえば、音だけに限らず、光とか、暑さ・寒さとか、結構いろんなことに敏感なのかも、と思っていたところ、最近になって「HSP」という概念を知った。Highly Sensitive Personの略で、要は、「とっても敏感な人」ということ。チェックリストを参照してみたら、分類上、わたしはこの「HSP」に当てはまるらしい。まだまだ研究が始まったばかりの浅い分野で、本を読んでも、ものすごくピンときたわけではない。研究が進めば、このチェック項目も変わるかもしれないけれど、今のところ「ああ、わたしは周りより敏感なのかなあ」という認識を改めて持ったという感じ。人間に限らず、生物として、同じ種の中でも生まれつき周りより敏感な個体が全体の2割くらいいる、という研究もあるようだ。わたしが敏感であることを、周りからは「気にしすぎなだけだよ」と言われたこともあったけれど、「個体としてそういうものなんだ」と開き直れればこっちのもの。だって音とか光とかに敏感なんだもん。それでいいじゃん、と思えた。今のわたしが、ブラスバンドでシンバルを当てられたらーーどうするだろう。ちゃんと開き直って、せめてもう少し自分にとって刺激の少ない楽器に変えてもらうなりできただろうか。

 音とか光は、どちらも波だ。同じ場所にいれば、一つの音源や光源から受ける波長は同じもの。そう思っていたけれど、どうやら「受け取る側」に違いがあるらしい。同じ刺激に対してわたしばっかり怖がる、という場面はこれまでにもあったし、「わたしは周りより敏感なのかも」と認識したところで、受ける刺激が減るわけではない。それでも、わたしの中で一つ納得がいったから、それで良いことにしよう。納得がいったうえで、今後どう変わっていくかは、自分自身が被験者となって、自分でいろいろ試してみようと思う。