50円玉とパンツのゆくえ

 今日、数日ぶりに例のコインランドリーへ顔を出した。先日、パンツと50円玉が忘れ去られた、あのコインランドリー。ふと、あの50円玉がどうなったか気になったからだ。

 結論としては、どちらも、なくなっていた。あのおじいさんが持って行ったのか、管理人が処分しちゃったのかは、わからないけれど。

 代わりに、というと変な話だが、今度は靴下が片方、忘れられていた。靴下って、いつの間にか片方なくなっていることがあったけれど、その無くされた方の靴下が、寂しくうなだれているかのように置かれていた。さすがにシャツを忘れるということはないけれども、片方の靴下とか、ハンカチとか、そういう小さいものは、忘れられやすいのだろう。

 

 思い返せば、わたしも子どもの頃、修学旅行など学校の行事でどこかへ泊まりに行くと、必ず何か忘れ物をして帰ってきていた。忘れ物は、それこそ靴下とか、シャツとか。良く言えば、いつも次のことを考えている。悪く言えば、慎重さが足りない。今はそれもだいぶ減った。乗り物を降りるときも、気をつけるようにしている。でも、なぜか、どこかへ出かけるとき、家の玄関の鍵を閉めて2、3歩ほど進んだところで忘れ物に気づいて引き返す、というのはなくならない。まずは数歩ほど歩いてみないと、忘れ物に気付けないのだ。

 忘れ物とはどういう現象なのだろう。そして、数歩歩けば思い出すというのはどういうことだ。自分のことでも、理解できないことというのは存外あるということか。