お休みの音

 今回はブログ投稿をお休みしようとも思ったけれど、「休む」という言葉について考えているうちに色々と思考が派生したので、少しだけ書こうと思う。

 「休む」というのは、楽にすること。かといって、「何もしないこと」だけが「休む」ではない。そのときに楽と思えることをするのが、休むことだ。だから、場合によっては横になって目を瞑ることにもなるし、外に出て人と美味しいものを食べるのだって、クラブで踊るのだって、その人のその時なりの「休む」に入る。

 わたしにとっては、ピアノを引いたり本を読んだりすることが「休む」に入るときもあれば、水辺を歩くことが「休む」のときも、ただ床に寝転ぶだけのときもある。そのときそのときで「休む」のスタイルを切り替えないといけない。休みが必要だなあと思う時でも、どういう休みが必要かはその時々で異なるから、毎回、今回の休みにはどんなスタイルが良いかというのを考えたほうが良い。大体の人が、そうやって休みを過ごしているとは思うけれど。

 

 だから、疲れていそうな人には大抵、「よく寝てね」とか言うよりは「気兼ねなく自由に過ごす時間を作ってね」と伝えるようにしている。もちろん、寝不足な人には「よく寝てね」と言うときもあるけれど。

 

 ピアノの曲に「4分33秒」というのがある。それは、休符だけの曲。無音の音楽。作曲者は、ジョン・ケージ。無音なのになぜそれがピアノの曲なのかはよくわからないけれど、ともかく、4分33秒の間、無音で過ごすというのを作曲した人がいるのだ。

 休符の間、演奏者はどう過ごしていても良いのだろうか。やっぱり、おりこうに椅子に座っていなければならないのだろうか。

 

 この曲は、楽譜に書かれた休符だから、「楽譜通り」が求められるかもしれないけれど、ふつうの「休み」には楽譜はない。周りに、疲れていたり、ストレスに囲まれていたりする人が多いからこそ、言いたい。

 「時には好きに過ごせる時間を作って、たっぷり休んでね!」