プールと水風呂

 スポーツジムへ行ってプールで泳ぎ、風呂で温まった後、水風呂に入る。この流れが気に入った一年になった。

 でも我ながら不思議なのは、プールでは老若男女が思い思いに泳いでいるさまを見て何も思わないのに、水風呂で頭の先まで全身を沈める人を見ると、ちょっと不潔な感じがするということだ。散々、人が全身浸かって運動しているプールで泳いでいるのに、水風呂という環境になると、顔や頭を水に浸けるのはマナー違反だと感じてしまう。あとは、水風呂のすぐ横で、手桶で体にばしゃっと水をかけて、その水が浴槽の中にざぶんと戻る様子も、なんだか嫌だ。ひとたびその体が水風呂に入ってしまえば、同じ水風呂にいることには何の抵抗もない。ただ、「一度離れた水がもう一度戻ってくる」というのが不快なのだ。

 浄・不浄の観念を研究していると、この概念も出てくる。例えば、唾液はいつも自分の口の中にあって、それについて特に汚いとも思わないけれど、一度唾液をコップなどに出してしまうと、それを汚く感じ、また口に戻したいとは思えなくなる。たとえそれが、空気中に雑菌のない、無菌室でも同じだろう。

 子供の頃の教育の威力はすごい。自宅の風呂ならともかく、他の人も入る公衆浴場や温泉などではしゃいで潜ろうとすれば怒られる。それが刷り込まれると、ほんの少し前まで一緒にプールに入っていた人と水風呂に入った時、プールでは水中に潜っていた同士だったのに、「もうここはプールではないから潜っちゃダメ」という、もはや生理的な反応をしてしまう。その感覚が合わない人がプールと同じ感覚で水風呂に潜っているのを見ると、「嫌」と感じてしまうのだ。

 また、面白いのは、水風呂には全身潜る人がいるが、あったかい方の風呂には潜る人がいないことだ。42度を超える熱い風呂だから、だけだろうか?やっぱり「風呂は潜っちゃダメ」という観念が強いのだろうか?

 この感覚、日本の外ではどうなのだろう。日本の中でも、地域差や世代差はどれくらいあるのだろう。私が見ているのは日本の文化のある一面だけだ。でも、ここから広げていけば、日本の「浄」「不浄」にまつわる文化が立体的に浮かび上がってくるのではないかと思う。