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秋の思い出

 

 子供のころから、秋が好きだった。

 秋が好きだったからといって、他の季節が嫌いだったわけではない。春も大好きだし、夏は自分の誕生日もあるし、冬のツンとした寒さもイヤではない。それでも、秋はワクワクする季節だった。

 幕張に生まれた私はずっと千葉で育ったけれど、いわゆる「首都圏」というイメージに反して、近所には草っ原や雑木林があり、それが子供だった私の格好の遊び場だった。

 春は春で、このような空き地で野草などの食べられるものを採取できるから、うんと楽しい。つくしも、セリも、タケノコも、タラの芽も、自分の手でとって、それをお母さんが夕飯に調理してくれるのが嬉しいものだった。春の七草も、身近な友達の中では誰より早く覚えた気がする。

 秋になると、夏の間に伸びた草が枯れ始める。ススキとか、他のスーッと伸びるようなイネ科の植物は簡単に集めることができた。それを木の枝などで簡単に作った柱に並べて屋根兼壁としてテント型の秘密基地をつくり、友達とコソコソ遊ぶ。そのころから二十年も経った今では、秘密基地の中で何して遊んだかなんて一つも覚えていないのに、秘密基地をつくるのにススキなどをせっせと集めた過程なんかは案外覚えていて面白い。何年ぶりかにその場所にいってみたら、もう人家が立っていたので遊べる場所ではなくなっていたけれど、基地をつくったのが大体どのあたりだったかまで覚えていた。

 すぐ横の雑木林では、カラスウリが綺麗なオレンジ色になっていて、手の匂いは気になったけれどヘクソカズラも魅力的だった。ヤマブドウの実を口に放り込み、時折渋くてペッと口から出す。ツルウメモドキの実が弾けて、黄色い殻から真っ赤な中身が出てきているのは、子供心にも豪華に見えたものだ。時々運が良いと見つけるのは、紫色に熟したあけびの実。つるに付く葉はわかりやすい楕円形で、実も目立つ紫色だから、目が慣れればすぐに見つけられる。甘くて秋の雑木林ではご馳走だったから、虫などの先客がいることも多かったけれど、ときどき自分が最初のお客さまになることができて、うんと嬉しかった。きっとこれまでの人生全体で数えたって、そうなんども食べたわけではなかったけれど、種をプップッと口から出しながら食べるほの甘いあけびの実は、やっぱりごちそうだったと思う。

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 野原ではなく公園に生えていたのは、イチョウの木。秋には銀杏がよく落ちていた。子供のころのわたしは、自分が両腕を広げてようやく木の幹の直径くらいになるような大きなイチョウの木にキックを入れて、銀杏を落とそうとしていた。今考えれば悪い子供だけれど、そんな大きなイチョウの木はひょろっと細いわたしのキックに負けず、いつでもどっしりと構えていた。イチョウの木にキックを入れたわたしに「キックボクシングだ」と言ったのが父なのか母なのかわからないけれど、その言葉を知らなかったわたしはそれを「キックボック」と覚え、長らく、イチョウの木のことを「キックボック」と呼んでいた。銀杏は周りの黄色い実部分は臭いから持って帰りたくない。靴でにゅうっと踏んで実をはがし、中の、硬い殻のついた種の部分だけを獲物袋(スーパーの袋)に放り込む。子供には銀杏は苦味もあったけれど、自分で取ってきたものと思うと嬉しい食材だった。

 こんな風に、わたしは野に育った子供だったけれど、一方で絶対に触れないものもいくつかあった。その代表が、きのこ。今でもその辺に生えているきのこには絶対に手を触れない。一緒にきのこをよく知っている人がいて、これは大丈夫、とお墨付きをもらわない限りはダメで、毒だったらどうしよう、触ったらまずいかも、触った手で目を擦ったらよくないかも、とあらゆる怖い想像が働いてしまうのだ。わたしを野の子に育てた母もやはり野の人だけれど、母はしらないきのこでも触れるから不思議だ。

 いま、東京に住むわたしは、そういう雑木林や野原といった環境が身近にないのが残念だ。花屋で飾り用のススキを売っているのを見ても、悔しくて買えない。また、東京の大学で出会った、いろいろな地域から来た友達の中には、わたしの経験したような「野」の生活を知らない人もいて、少し驚いた。このとき、自分の常識は他人の常識とは限らない、と身をもって知ったような気がする。わたしが過ごした野の遊びは、誰でも、どこでも、なんてことはなかったのだ。