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立川談春『赤めだか』

 高校生の青年が、聴く者を容赦なく自分の世界に叩き込む談志の芸に圧倒された。志ん朝の落語は上手くて感動的だが、談志は凄い。青年は高校を中退、門を叩いた。彼こそ、今日最もチケットが取れない落語家、立川談春

 落語の世界では、マトモなことを言い正しく生きる御隠居ではなく、女や酒でシクジる八っつあん、熊公が主人公。そもそも主流から外れた者を面白がる。そこへきて、イエモトは寄席文化から飛び出した異端。異彩を放つ、異才の人。異端の人生は、オッカネェが、オモシロイ。<異端>というイエモトの生き方が、志ん朝とは違う、不気味なほどの凄み、リアルさを孕む噺を生み出すのだ。<異端>を生きる談志の「落語は人間の業の肯定だ」という言葉からは、イエモトのナマの体温が感じられる。落語という世界観と、それを紡ぐイエモトの姿が、マトモな人間とは違う生き方をしてみろよ、と語りかけてくる。

 談春の前座生活は、やはり「普通の」前座とは異なる。寄席に通い雑用をこなすことなどなく、イエモトの家へ通いながら自分のペースで稽古をする。突然イエモトに呼び出され、築地の魚河岸に奉公に出される。こうして弟子たちも<異端>の生き方に染まる。

 イエモトの生き方に寄り添う談春は、必ずしも自信満々で<異端>を生きているわけではない。イエモトの後ろ盾があるからこそ、立川流の落語家として高座に出る。しかし、未だ頼りなく、真打昇格にこぎつけられないでいる立川流の後輩には、焦燥をあらわにし、叱咤する。「談志亡きあと、誰の責任であなた方を真打ですと世に披露するのか、問うのか。そんな真打になったところで嬉しいのか、意味があるのか、メリットがあると思うのか」。芸が世間に認めらなければ人と違っても意味がない。堂々とした異端の落語家であるようで、そこにイエモトのお墨付きを求めてしまう談春の姿から、<異端>であることを怖がっても良いのだと肯定してもらった気がした。