あの日のこと

 六年前の今日のことは、一生忘れられないと思う。怖くて、唖然として、とてもじゃないけれど普段通りになんかいられなくて、何を備えれば良いかもわからず、とにかく何かの時のためにと水筒にお茶を入れ、大量におにぎりを作った気がする。あまりにも、動転していた。その数日前に、友達と宮城の海沿いの方に旅行に行こうといっていたのをキャンセルしたばかりだった。キャンセルしていなかったら、もろに津波の被害を受けていたかもしれない。そんな起きなかったことを考えても仕方ないのはわかっているけれど、時々思い出しては、胸の中がもやもやと灰色の煙で満たされるようになる。そして、自分は大した被害にもあわなかったけれど、今でも行方不明の人がいるとか、生活が不自由になってしまった人がいるということを思うと、ほんとうに胸が痛い。また、それでも負けじと頑張っている人たちには、勇気をもらう思いだ。

 「毎日ブログを書く」というのを始めてから、今日が来るのが怖かった。だって、何を書けば良いか、わからない。いつもの調子のような、呑気なことなんて書いていられない。でも、一つのまとまった文章にできる気もしない。ブログの投稿数も、初代のポケモンの数を超えたところで、「毎日」というハードルを下げようかとチラチラ考えてはいたけれど、お休みする最初の日を今日にしたくはなかった。

 あの日、あの瞬間を境に、それこそ波のように次々と、どれを信じて良いのかわからないような情報が辺りを埋め尽くした。その前から、「怪しい情報」なんてのはいくらでも身の回りにあったのだろうけれど、津波の被害のことや、原発のこと、余震のことも含め、憶測やデマと呼ばれるような情報がとにかく溢れた。善意で手から手へと渡され広まる安易な「拡散希望」の情報に、酔ってしまった。当時重宝がられたツイッターも、便利さの反面、一つのツイートの文字数が少なすぎて、一つのツイートあたりのもつ情報がどうしても断片的だったと思う。やっぱり、大事なことほど、しっかり理解したい。そう思うと、やっぱりカケラの寄せ集めのような情報ばかりでは理解すべきことも理解しにくくなっていたと思う。

 どうしても頭でっかちになりがちだけれども、せめて、わたしには何ができるか、考え続けようと思うし、今ではこういう「毎日書くブログ」という場を持っているのだから、考えたこと、言葉にし続けようと思う。安易なことを書くのはやっぱり怖いけれど、「読むこと」「考えること」「書くこと」を、大学院まで行って勉強したのだから、何かは書き続けなきゃ。たとえそれが、自分の失敗のトホホな話でも、本を読んで考えたことだとしても。