学校教子

 随分とブログを書くのも久々になってしまった。気づけば下町暮らしを離れて地元に引っ越してきてしまったし、年まで越してしまった。

 このシーズンといえば、受験だ。わたし自身、中学受験・大学受験・大学院受験と、そこそこ受験戦争の体験はしてきた。そんなわたしが振り返る、受験の思い出とくれば、これしかない。

 

 大学受験でのこと。当時高校三年生だったわたしは、予備校にも通いながら、なんとか勉強をしていた。といっても、たぶん、巷の受験生よりは必死じゃなかったのではないかとも思う。お正月にはテレビも観ていたのだ。

 いくつかの志望校は決まっていた。願書も取り寄せていて、あとは書くだけだったけれども、母が気を利かせてくれ、「あんたは勉強していなさい。願書くらい、書いておいてあげるから」と、引き受けてくれた。

 書類仕事は確かに面倒だと思ったわたしは母に願書を預け、勉強をし、そして、もちろんちゃんと受験票は届き、試験を受けた。英語の長文読解の文章の内容は、お正月のクイズ番組で取り上げられていた、動物の生態についてで、この時ほど「テレビを観ていて良かった〜」と思ったことはなかった。受験には、受かった。

 

 ある日、「内緒にしていたんだけど」と母が切り出した。

「実はね、願書に記入する時に、横に、願書に添付されていた見本を見ながら書いていたのだけれど、見本と願書を隣り合わせにしながら見本に合わせている間に、あなたの名前を書くところに、見本に書いてあったまま、『学校教子』って書いちゃったのよ。

 願書は修正液の使用も禁止だから、二重線を引いて訂正するしかなくって。だから、大学の書類を確認するスタッフは、きっと『学校教子』ってミスに気づいたと思う。試験の前にそれをいったら、怒ったりがっかりしたりするかと思って、言わなかったんだけれどもね。」

 

 たしかに、自分の名前を間違えて見本通りに「学校教子」と書いた願書を出していたと試験前のわたしが知ったら、焦ったし、落ちるかもしれないと思っただろうし、だからこそ怒っただろう。その大学に合格したから良かった。通えたから良かった。

 

 大学を卒業したあと、用事があって、大学の事務室を訪れた。心の隅で「この部屋の誰かは、わたしが『学校教子』と書かれた願書を出したことを知っているのかも」と思うと、思わずニヤついてしまった。もしかしたら、大量にある願書を処理するのにくたびれた職員の誰かに、ちょっとした笑いを提供できたのかもしれない。それならそれで良いじゃないか。そう思えるくらいには、大人になったらしい。