クモの巣

 東京の下町に住んでいてふと気付いたけれど、ここにはクモがいない。もちろん、数ミリ程度の小さいのは時々いるけれど、大きいのを見かけることはないし、クモの巣も見ない。クモもクモの巣も嫌いという人は多いし、人が多く行き交い、緑地も整備されているような都市では排除される生き物なのかもしれない。

 かくいう私も、クモは苦手な方だ。イギリスの寮に住んでいたときには、自分の部屋に、足の長さを含めて15センチ以上のヤツが出て、半泣きになった。ほとんど動かないクモで、棚の裏とか壁とかにくっついていた。ビクビクしながら三日同じ部屋で過ごし、あるとき床の真ん中を歩いているところを、上からゴミ箱をかぶせて捕まえた。けれども、ゴミ箱の下から厚紙を差し込んで蓋をして外に放るというのが、怖くてできない。厚紙とゴミ箱の隙間から出てきて、自分の方に寄ってきたら?と思うと、ゴミ箱自体が怖くなり、その日は上に重たいオリーブオイルの瓶をゴミ箱の上に乗っけて寝た。中でヤツが暴れてもゴミ箱がひっくり返らないように。翌日、近くに住む日本人のお世話になっている方に泣きを入れ、部屋まで来ていただき、無事クモを部屋から放り出してもらった。

 そんな風に、オックスフォードの街には、クモがたくさんいた。緑地が多いし、行き交う人々もそんなに気にしていないという感じだった。同じように、クモの巣も多かった。フェンスや、建物の壁にはたくさんついていたし、公園の茂みにもたくさんあった。クモの巣が手や体に付くのが好きじゃなかったから、不用意には茂みに近づかなかった。近くの農場でラズベリー狩りをしたときも、近くにクモの巣がないか、用心しながらラズベリーを摘んだ。

 そうやって、クモやクモの巣を避けていたわたしだけれど、一度だけ、心からクモの巣を楽しんだこともある。それは、オックスフォードで初雪が降った日だ。雪がクモの巣に積もり、巣の形がフワフワと見えるようになったのだ。クモの巣がぺっとりくっつくのは嫌いだし、クモも苦手だけれど、よく見ると、クモの巣の、なんと美しいこと。わたしは夢中になって、カメラ片手に街を歩き回り、クモの巣の写真を撮りまくった。

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 ひとつ、何かきっかけがあると、うんと嫌いだったものが急に美しく見える。そういうことを体験した一日だった。今でもクモは苦手だけれども・・・クモの巣の美しさを知っているわたしは、昔のわたしとは少し違うと思う。